[草野真樹さんのレポート]

聴き取り調査

夕張見学記

太平洋炭礦見学記

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2001.6.21.

  聴き取り調査

 私はこれまで、今回の調査を含め5人の方々から聴取調査を実施しています。そのいずれの方もかなりご年輩の方です。これは私個人の経験によるものですが、いずれの方も、「当時の貴重な経験談などについてお話をお聞かせ頂けないでしょうか」と、お願いをしてみると、たいへん喜び、快諾して下さりました。そして実際にお会いし、いろいろなお話を聞かせて頂くわけですが、この際、私の方法としては、例えば「私にとっては当時を知る方からの貴重な話を聴ける機会は稀であり、ぜひテープに録音させて頂けないでしょうか」と述べ、録音する承諾を必ずお願いをしてみることにしています。もちろん、この方法には長所も短所もあります。理想としては何度も足を運び、話を聴いていく方法がよいのかもしれませんが、現実的に困難な場合には、録音しておくと、いわば全ての話を聞き逃すことなく記録として保存できるわけです。その反面、短所としては、当然、録音するということは記録して残ってしまうわけですから、個人的な意見や残されては問題があるような話、ちょっとしたエピソードなどは敬遠されてしまうことがあります。しかしながら、現時点で私は、自分なりの資料として貴重な話であるとの考えから前者の録音する方法を採っています。また、その後に連絡を保つとさらに交流が進展する場合もあります。私の今回の調査は、そのおかげで実現することができたわけです。さらに私も今回で初めて経験したことですが、新たな資料が出てくる場合もあります。

 今回協力して下さった一人である児玉さんは、三井鉱山に炭鉱技術者として従事され、その後三井石炭鉱業株式会社の取締役になられた方です。最近、この児玉さんが自費出版で『石炭の技術史』という本を出されたのですが、一方では、児玉さんは三井鉱山社史編纂事務局の責任者でもあった方であり、この本はその社史をいわば基本に据えた優れた技術書です(なお、三井鉱山社史は諸事情により正式には刊行されず、ダイジェスト版として『男たちの世紀 三井鉱山の百年』が刊行されたに止まっている。調査の際には、その辺の事情についてもお伺いすることができた)。したがって、児玉さんは著作の完成のため個人的にも資料の収集・整理に努められてきた人でもある。私は、そのことを承知していたのですが、調査の際に思い切って資料のことについてお尋ねし、「今後その資料はどうされるのですか。万一捨てるぐらいならば、どうか私に譲って頂けないでしょうか」と自分の立場も考えず、お願いしたところ、驚くことに「いいですよ」とのお返事を頂戴することができた。

 ところで、なぜ、私のような若輩者の一学生にそのようなお返事をしてくださったのかというと、この児玉さんの『石炭の技術史』の刊行にまつわるお話が関係しています。児玉先生からお聞きしたところによると、刊行後、次の世代を担う人にわずかながらでも読んでもらいたいとの願いから、旧産炭地などの記念館や図書館など多方面に寄贈したそうです。ところが、一部から「当地はもう石炭ではなく、観光などで新たな模索をしており、もう必要ではありません」といった主旨の返事がよこされ、本が返送されてきたそうです。次の発展のためにこそ、歴史を学び、次へのステップを踏んでいくことが必要なのではという考えが強かったこともあり、たいへん、残念なことであったそうですが、それ以降、本当に本を必要としてくれる人のために手元へ保管していた方がよいのでは、と考えを改め、新たに寄贈するのをやめたそうです。そのような折に、私が資料について以上のようなお願いをしたわけであり「資料を欲しいという若い人に譲るのが一番いいでしょう」とお返事をして下さったわけです。また、児玉さんは、そのような残念な出来事に、技術を伝えていくことの大切さも話されていました。私はこの初めての経験に大変感激し、いわば舞い上がってしまい、その後のことを全て児玉先生に依頼した形で帰福してしまいました。その後、お礼状を出しましたが、資料の整理等はかなりの重労働であり、再度、上京し児玉先生にご負担がかからないような形で事を進めることができるように努力しなければと反省している次第です。

 最後になりますが、経営史学は、その研究対象の中心を企業に置くわけですから、このような聴取調査はたいへん貴重なアドバイスをもたらしてくれることが多いのではないでしょうか。現在のところ、オーラルヒストリーや聴取調査に関する統一した方法はなく、その評価も曖昧といえます。しかしながら、現役ゼミナールの方々も、私の事例はあまり参考にはなりませんが、一度トライしてみると貴重な経験ができるかもしれませんね。

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2001.10.10.

   夕張見学記

 まず、簡単に夕張について述べておきたいと思います。

 明治2年、北海道に開拓使が設置されると、アメリカから招いたライマンなどの技術者たちにより北海道の資源調査が進められた。夕張でも明治21年に北海道庁技師の坂市太郎によって石炭が発見され、明治23年には夕張炭鉱の採炭が開始された。25年には室蘭線と結ぶ石炭輸送の鉄道(夕張線)が開通し、その後、新夕張、若鍋、真谷地、大夕張、登川などの各炭鉱が相次いで開発された。炭鉱の開発に伴ない、人口も急増し、大正9年の第1回国勢調査では夕張の人口は早くも5万人を突破した。その後、人口の増加に伴ない、昭和18年に夕張市へ昇格し、戦後は北海道の中心炭田としてさらに発展し、最盛期の昭和3535年では人口約12万人を数えた。
 しかし、昭和30年代になり本格化した石炭から石油へのエネルギー転換により、夕張の各炭鉱も閉山を余儀なくされ、夕張で最後まで残った三菱南大夕張炭鉱も平成2年に閉山し、1世紀にわたり続いた夕張の炭鉱の灯は消えた。現在では、人口約1万5千人まで減少しているが、夕張では炭鉱の歴史を後世に残そうとする運動が活発となり、昭和53年から「石炭の歴史村」建設が構想され、その中心的施設として昭和55年に「夕張市石炭博物館」が開館した。
 
 さて、次に博物館の見学記について書いておこうと思います。

 私はこれまで、九州の石炭記念館などを中心に見学してきたが、夕張市石炭博物館は、それらと比べ、国内随一の施設といえます。まず、1階のホールには200インチの大型スクリーンが設置され、「炭山の記憶」等が放映されている。これをみることにより、夕張の歴史についてコンパクトに理解することができる
。同じく1階には、重さ3トンの目無炭や坑内機械が展示され、大昔の植物(メタセコイア)が石炭となるまでの地球の歴史を、復元模型などを使い紹介している。 
 2階に行くと、国内炭鉱の歴史の変遷を模型、写真、資料、年表などから理解できるようになっている。また、鉱山社会に根付いた「友子制度」についても、資料を展示し、説明がなされている(ちなみに、友子制度は九州の炭鉱ではほとんどみることはできない)。また、石炭ストーブの展示なども九州ではみることができず、北海道での炭鉱町・都市での生活を窺いしることができた。
 次に竪坑ケージで模擬坑道へ降りる。驚かされることに、ここ夕張市石炭博物館では、国内唯一の見学史跡鉱として以前に使用されていた坑道を史跡夕張鉱として保存・利用している。そのため、史跡鉱で見ることが出来る石炭は、すべて本物であり、さらにその炭層に自走枠やドラムカッターなどの採炭機械類を設置し、ダイナミックな採炭の実演が見学できる。石炭を知らない世代には、きわめて分かりやすい実演であり、その本格的な展示に非常に感服した(残念ながら、九州では、この規模の施設はない)。坑道を抜け、昇坑すると、すぐそばに厚さ約7mの石炭の大露頭(北海道指定天然記念物)と、北炭夕張炭鉱天龍坑々口をみることができる。地表に露出した大露頭は、圧巻であり、美しささえ感じる。

 それから、わざわざ青木館長が車を用意して下さり、

などを紹介して頂いた。現在も旧真谷地炭鉱事務所は、別会社が使用しており、残されているが、周辺にはほとんど何もなく、以前はここに約2万人程度が生活をしていたとは想像ができないほどの変容ぶりにとても驚いた。また、北部夕張地区は、現在道内で最大規模のダム建築が進められており、そのため居住者は全て移住が完了しており、ダムの建設に伴ない北部地区は水没するという。なお、見学したいずれの炭鉱跡地、町も険しい山深い沢沿いにある。このため、各炭鉱会社は炭鉱の開発のみではなく石炭の運搬に必要な鉄道建設から、鉱員のための炭住、娯楽施設などあるゆる面での開発が必要であった。まさに、炭鉱の都市を一から築き上げる必要があったわけである。逆にいえばそうした莫大な建設を伴なってでも、「炭鉱は儲かった」のであり、石炭産業が近代から戦後復興まで、わが国の基幹産業として発展したのかを肌で感じることができた。また、九州と比べ、北海道では炭鉱施設の解体作業が進められているが、それでもなお多くの施設が保存されていることに驚いた。これも地元の方々の熱意により保存運動が展開されているためであり、九州でも数多くを学ぶべきである。

 最後に今回の見学は、全て博物館々長・青木隆夫先生にご紹介して頂きました。私の全くの計画性のなさのために、青木先生にはとても大きなご迷惑をおかけしました。博物館では青木先生自らの案内と説明を賜わり、炭鉱跡地の見学に際しては、わざわざ2日間にわたり車で多くの場所へ連れて行って頂きました。さらにはずかしいことに出迎えまで、全てお世話になり、食事まで頂戴してしまいました。その上、北海道の炭鉱に関する文献やパンフレット、石炭、塊炭飴などのお土産まで頂き、たいへん恐縮でした。お忙しい中、この貴重な経験をさせて頂きました青木先生のご好意に心から感謝申し上げます。

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2001.11.1.

  太平洋炭礦見学記

 現在(平成13年10月現在)、わが国の炭鉱は北海道の太平洋炭礦(株)釧路鉱業所(北海道釧路市の南東に位置し、創立は1920年)と松島炭鉱(株)池島炭鉱の二炭鉱が操業を行っている状況にあり、年間出炭量は約300万トン弱である。反面、わが国の石炭需要は年間1億3千万トンを超え、今後さらなら増大が予測されている。しかし、両鉱を単に出炭量から眺めるのでなく、技術的側面に注目すると坑内外を問わず高度に機械化され、生産と保安の両面においてその技術は世界的に評価される高いレベルにあるといわれる。ここで留意しなければならないことは、わが国の炭層は諸外国と比して、火山活動や造山運動の影響を受けて石炭化度はかなり進んでいるものの、反面、炭層の生成年代が新しく脆弱であり、断層・褶曲が多く、厚さ、深度、傾斜、ガスや水の湧出量などあらゆる面で厳しい自然条件下にある点である。それ故、わが国の誇る炭鉱技術水準は、この自然条件を克服すべく継続されてきた努力の反映でもある。近年では、この世界有数の炭鉱技術を学ぼうと、インドネシアや中国など海外から来日する技術研修生も多数にのぼっている。太平洋炭礦では海外からの受入・派遣ともに30カ国を超え、石炭分野における国際協力の拠点として、今後もその役割にさらなる期待が寄せられている。私が見学を申し込んだ理由も、この貴重な機会に炭鉱技術を肌で学んでみたい一心からであった。
 さて、坑内見学に際しては定刻の入坑時間があるため、初日は顔合わせを兼ね釧路近郊を散策し同地に一泊することになった。一行は27日11時、JR釧路駅前に集合し、ヒルトップホテルのご好意のバスで、まずは特別記念物であるマリモの生息地として有名な阿寒湖へ向かった。阿寒湖では、観光遊覧船に乗船し、途中、チュウルイ島(マリモ展示観察センター)に上陸し、マリモの繁殖や生長、流形化のしくみなどを観察した。次に丹頂鶴自然公園へ移動し、タンチョウの生息状況を観察した後、湿原展望台へ移動し雄大な自然を満喫した。それからホテルへ移動し、小宴会を兼ねた夕食となった。夕食では活発な意見が交わされ、とくに鉱山業をはじめとし若手技術者が乏しく、この養成と対策、さらには若年層の問題意識の低さ、倫理教育の必要性などに意見が集中した。
 さあ28日、いよいよ坑内見学日となった。前日は若干曇り空であったが、当日はすっきりと晴れあがり、ホテルから太平洋炭礦のズリ山をはっきりと眺めることができた。太平洋炭礦へ到着後、早速作業着に着替え、会議室でビデオを用いた同社の概要と坑内見学に際しての注意事項の説明を受けた。簡単に概況を記すと、炭層は新生代古第三紀層の春採夾炭層に上層、本層、下層の3枚が存在し、現在は海面下600〜700mの区域を主要フィールドに、厚さ1.8〜3.3mの本層と1.8〜3.2mの下層を稼行対象としている。炭質は、一般炭(亜瀝青炭)で、精炭平均カロリーは6,000Kcal/kg、硫黄分含有率は0.2〜0.3%である。現在までの維持坑道長は約177.3kmに達する。また、保安上、残念ながら坑内にはカメラは持ちこめなかった。説明後、質疑応答が行われ意見が交わされるうちに入坑の時間となった。
 ヘルメットを被り、案内役の方にキャップランプの取り付け方を教えて頂きながら、再度、火気類を携帯していないことを確認した。前述したように、切羽は−650mにあるのでまずは第2斜坑に設置された人車で移動する。斜坑長は6,563mに及び、斜坑としては世界最長であるという。約17分かけて−580mまで移動すると、次は水平坑道に設置された高速人車へ乗り込む。水平坑道も5,800mに及び、約20分をかけて移動する。それからマンベルトへ搭乗し、718mを約7分で移動する。こうした人車の高速化やマンベルトの運行により実労働時間の確保と移動時の疲労軽減が図られている。マンベルトを降りた後は、約15分ほど切羽まで歩かなければならない。暗く、慣れない坑道をキャップライトを頼りに歩く。坑口から約1時間をかけて切羽に到着した。
 私が坑内見学で最も関心を寄せていたのが切羽支保であった。太平洋炭礦では1967年より天盤を支えるシールド枠と炭層を削り取るドラムカッターを組み合わせたSD採炭を採用している。見学した切羽は坑口より13.5km、−652mに位置する春採狭炭層第5番層(本層)で、山丈2.7m、炭丈2.5m、面長242mである。ここに支持力700tに達する162台のシールド枠が配列され、ドラムカッターにより採掘が行われている。実際にドラムカッターが稼動している状況を見学したが、採掘して切羽が進むとシールド枠も自動的に90cm前方へ進行していく。採掘後の切羽は自然崩落し、人工的な充填作業は必要なく合理的な採掘が行われている。実際にシールド枠を見て、大型で頑強な印象を持ったが、やはり不安は感じるものである。すると、案内役の方が私の顔色を見抜き、「心配せずに、びくともしませんよ」と笑顔で声をかけて下さった。なお、説明によると切羽で使用しているシールド枠はドイツ製で、ドラムカッターはアメリカ製であるという。これは、国内でも三池製作所などの優秀な機械製造メーカーが存在するが、炭鉱の閉山に伴う機械製造の縮小により、現時点において最先端の機械を採用するためには外国製に頼らざるを得ない状況のためであるという。
 次に切羽より搬出された石炭は、ベルトコンベヤ(総延長32km)で各部内のポケットを経て第6ポケットで集約し、第2卸連卸〜春採坑本卸〜春採斜坑を経由し、選炭工場受炭ポケットに揚炭されている。一方、坑道開削のための沿層掘進には、コンティニュアスマイナーとシャトルカーによる機械化掘進が行われており、坑道支保には鋼枠とロックボルトを状況に合せて使用している。また、近年はロックボルト打設機を搭載したボルターマイナーを導入している。岩盤掘進はロードヘッダーを用いた機械化掘進を主力にしているが、一部発破掘進も行われている。
 また、炭鉱では坑内作業及び安全面から「通気」を確保しなければならないことは言うまでもない。太平洋では、第2斜坑及び春採坑を主要入気、益浦斜坑及び知人立坑を主要排気とする対偶式通気方法により坑内通気を行っている。主扇能力は21,000m3/minであり、ほぼ全ての坑道で風を感じることができ、充分に通気が確保されていることを肌で感じることができた。
 排水については、各採掘区域の主要ポンプ座から第5本坑道レベルの中央ポンプ座に集約され、第2ポンプ座を経て通気斜坑坑外に排水されている。総排水量は8.20m3/minで、その一部は選炭用水として選炭工場へ送水されている。昇坑後は、浴場で汗を洗い流したが、皆ひとときの緊張感から解放されたためか、にこやかな笑顔で入浴し少々なが風呂となってしまった。
 昼食を終え、午後からはまずDME(ジメチルエーテル)施設を見学した。太平洋炭礦では、平成9年度から日本鋼管(株)、住友金属工業(株)の3社でDMEの共同開発に取り組んでいる。近年、DMEはその大部分がフロンに替わる噴射剤としてスプレー式の塗料や化粧品に使用されているが、DMEは空気中に放出されると数十時間で分解するため、温室効果やオゾン層破壊の懸念もない安全でクリーンな物質としてLPGの代替燃料、発電所燃料、ディーゼルエンジン燃料など幅広い用途が期待されている。
 次に一行は選炭工場を訪問した。時間の制約上、残念ながら工場内を実際に見学して周ることはできなかったが、ビデオを見ながら概況の説明を受けた。坑内で採掘された原炭は、選炭工場で塊(25mm以上)と粉(25mm未満)に分けられ、塊は重油選炭機(ドルボーイ)で新特中(6,200Kcal/kg)と二中(5,000Kcal/kg)の2銘柄を、粉はバウム式水選機により62粉(6,200kcal/kg)と二粉(4,500kcal/kg),さらにスパイラル比重選別機により微粉炭を回収した洗炭(6,000Kcal/kg)の3銘柄を産出している。なお、処理能力は900t/h、歩留は52%である。
 一行は最後に同社の炭鉱展示館を見学した。展示ホールには坑内、選炭工場、同社の機械化の歴史などが復元模型を使い分かりやすく展示され、さらに地下の模擬坑道にはSD採炭切羽が再現されており、見学者の理解をより一層深める大きな手助けとなった。
 見学会を終え、文献からでは理解が難しかった坑内の状況を知ることができたことは大きな成果であった。また、厳しい経営環境の中、従業員の方々の仕事に対する情熱と誇りを直接垣間見ることができたことに何よりも感激した。この貴重な経験を今後の活動で活かせるようにしたい。
 なお、本見学記執筆中に、池島炭鉱の閉山が報道された。いずれにせよ、私は太平洋炭礦の果たすべき役割はきわめて大きいと考えている。
 最後に多忙な時間を割いてご説明・ご案内頂いた太平洋炭礦の関係者各位、ヒルトップホテルの皆様に紙面を借りて厚くお礼申し上げます。また、北海道大学の五十嵐敏文先生には、お忙しい中を集合から解散まで見学のお世話を頂きありがとうございました。

『資源と素材(旧 日本鉱業会誌)』掲載。

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草 野 真 樹 
kusano@fat.coara.or.jp
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